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三元社出版物
研究会からのお知らせ : 第68回多言語社会研究会(東京例会)【開催日:2016年6月25日(土)】
投稿者: webmaster 投稿日時: 2016-5-22 6:39:40 (792 ヒット)

多言語社会研究会例会を下記の通り開催致します。ふるって御参加いただきますようお願いします。


第68回多言語社会研究会(東京例会)のご案内
日時:6月25日(土)午後2時〜6時
場所:東京外国語大学本郷サテライト4階セミナー室
   http://www.tufs.ac.jp/access/hongou.html
資料代:500円


報告1 脇阪 紀行(大阪大学未来戦略機構)
題目:薄暗がりの中の「ことばの暴力」
報告概要:
 2000年代初頭から顕在化したヘイトスピーチの運動に対して、社会全体の危機感が高まり、反ヘイトの運動やインターネット・プロバイダーによる規制、さらに2016年5月には、ヘイトスピーチ規制法が制定される。これによって、在日コリアンに象徴されるヘイトスピーチへの抑制効果が期待されるが、果たして、これでヘイトスピーチが根絶するのだろうか。
 日本には多くの懸念すべき状況がある。
 まず、在特会など一部集団によって在日コリアンや韓国・中国への差別・侮蔑を叫ぶデモは今なお続いている。ツィッターの言語分析や質問紙調査から、若者世代にレイシズムの偏見の存在を裏付ける研究もある。仮に差別的表現が今後、減ったとしても、差別をどこかで許容する感覚はなお潜み続けるのではないか。そんな懸念を裏付ける一つは、インターネット空間におけるヘイト表現である。在日コリアンのみならず、女性などへの嫌がらせの書き込みが後を絶たない。2016年3月に反響を呼んだ「保育所落ちた日本死ね」のブログでも、政府の待機児童政策を前進させる世論の後押しを生んだ半面、ブログに多くの女性蔑視、韓国批判の書き込みが見られた。
 これまでの研究から、インターネットへのヘイト表現を書き込むのは0・5%程度とみられ、「炎上」が起こるきっかけとなる書き込みをするのは、特異な性格をもった、ごく一部の人間だとされる。にもかかわらず、ネット空間で多くのヘイト表現が増殖している。
 フランスの社会学者ドニミク・カルドンは、ネットの普及によって公共空間の拡大と社会や民主主義の変容が起きていると指摘し、公共空間とは切り離された「薄暗がり」にとどまっていた人々の「つぶやき」や「おしゃべり」が、ネットによって、公共空間に広がる将来を楽観している。しかし、「陰口」や「憎悪表現」が公共空間に侵入し。「ことばの暴力」となっている現実を見過ごすことができない。
キーワード:ヘイトスピーチ、インターネット、薄暗がり、公共空間


報告2 山下 仁(大阪大学)
題目:ヘイトスピーチの問題を社会言語学から考える
報告概要:
 前発表に引きつづき、ヘイトスピーチの問題を取り上げる。本発表では、まず日本の社会言語学の分野ではあまりヘイトスピーチのような現象が取り上げられなかったことを確認する。これまでの社会言語学やポライトネス、あるいは語用論の研究者は、より良い人間関係を構築するためにコミュニケーションがなされる、ということを前提にして研究を行ってきた。それゆえ、ヘイトスピーチや陰口、あるいはヤジのような、よりよい人間関係を構築するのとは逆方向のコミュニケーションの問題は取り上げてこなかったのであろう。ところが、社会的なコミュニケーション上の問題は、よりよいコミュニケーションを研究しても解決することはなく、むしろ、コミュニケーションがうまくいっていない状況を研究するべきなのかもしれない。
 この点、研究というものが、「よりよい社会に貢献するべきものである」という暗黙の前提にたっていながら、結局そのような貢献からは遠ざかっているようにも思え、いくつかの考えるヒントを与えているようにも思う。
 他方、ドイツにはヘイトスピーチに関する研究書が多くある。そこで、まず、言語学の観点からヘイトスピーチを捉えたマイバウアーの議論を紹介する。ところが、音声学、形態論、意味論、語用論、ポライトネス、対照言語学といった観点からヘイトスピーチをとらえたとしても、あまり有意義とは思えないので、他のいくつかのドイツ語で書かれた論文を参考にしながら、問題の所在を考えてみたい。最後に、「ことばの暴力」としてのヘイトスピーチについて考えるため、「構造的な暴力」について語ったバベロフスキーの議論を取り上げる。
キーワード:ヘイトスピーチ、構造的な暴力、社会言語学


報告3:川島 隆(京都大学)
題目:「フクシマ」をめぐるドイツの新聞報道
報告概要:
 2011年3月の東日本大震災とそれに続く福島第一原発の事故は、ドイツでも大きく報じられた。その際、ドイツのマスメディアは地震・津波の被害を十分に報じず、その一方で原発事故に対して「ヒステリー」的な反応を示して読者や視聴者の不安と「パニック」を煽ったという見方がある(熊谷2011; Zöllner 2011; Coulmas & Stalpers 2011; Felix 2012; 川口マーン2013)。たしかに、ドイツにおける報道が他国と比べて原発事故に比重を置いていたことは、その後の研究で実証されている(林2013; Kepplinger & Lemke 2014)。しかし、その傾向はメルケル政権の原発稼働延長政策が議論を呼んでいたドイツの政治状況を反映したものであり、ことメディア報道のあり方がその後の脱原発の世論に決定的な影響を与えたという事実もない(Weiß, Markutzyk & Schwotzer 2014)。日本の原発事故をめぐるドイツの報道がセンセーショナルで感情的な「偏向報道」であったとの見解は、それ自体が感情的な臆断にすぎないのである。
 以上の前提に立ち、本発表では、「ヒステリー」および「パニック」という言葉が日本の震災と原発事故をめぐる文脈でどのように用いられたかを、ドイツの有力な全国紙を例に検証する。取り上げるのは、原発に批判的な中道左派の『南ドイツ新聞』、原発推進の立場をとる右派の『ヴェルト』、および原発推進から脱原発へと主張を変化させたリベラル保守の『フランクフルター・アルゲマイネ』の三紙である。新聞記事および読者投稿の分析を通じ、ドイツ人は放射能のリスクに対して過剰に反応する(「ジャーマン・アングスト」)という、原発推進派が反原発・脱原発派を揶揄するにあたり動員される言説の枠組みに上記の言葉の使われ方が合致することを示す。ひいては、こうした言説が、異なる立場の人々のあいだの対話を阻害するコミュニケーション断絶の手段となっている事態について考えてみたい。
キーワード:原発事故、新聞、「偏向報道」、ジャーマン・アングスト、言説分析

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