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関連学会・研究会のお知らせ : 第81回多言語社会研究会(東京例会)【開催日:2019年10月26日(土)】
投稿者: webmaster 投稿日時: 2019-9-24 9:53:30 (512 ヒット)

多言語社会研究会第81回東京例会を、下記の通り開催いたします。
みなさまふるってご参加いただきますよう、お願いいたします。


第81回多言語社会研究会(東京例会)
日時:2019年10月26日(土)午後2時〜6時
会場:東京大学東洋文化研究所3階、大会議室
http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/access/index.html
資料代:500円


〈第1報告〉
タイトル:言語学から見た「想像の共同体」 — 田中克彦『ことばと国家』再読
報告者:勝又章夫(慶應義塾大学非常勤講師、東京国際大学非常勤講師)
概要:
 ベネディクト・アンダーソンの「想像の共同体」という概念と田中克彦の思想を結び付けることはできないように見える。想像の共同体のように、民族の客観的存在を疑問視する思想に田中はしばしば反対してきたからである。それにもかかわらず田中の言語論は想像の共同体を言語学的に基礎づけているように見える。そもそも民族が「想像の共同体」であるということは、民族が「心の中の交流」というイメージにほかならず、客観的には存在しないということを意味する。言語が民族の客観的基礎であるように見えるが、言語の存在がその言葉の話し手の民族意識に依拠するという田中の言語観はむしろ「想像の共同体」を言語学的に基礎づけている。このように民族や言語が人間の意識から独立して客観的に存在するのではなく、人間の意識によって構築されるという考え方を構築主義という。構築主義の理論的長所は明らかである。それは19世紀のチェコ・ナショナリズムの歴史や、1990年代の旧ユーゴスラヴィアのナショナリズムをクリアに説明できるからである。これに対して構築主義の政治的な意味はアンビヴァレントである。構築主義は個人を民族から守り、抑圧的な権力に対しては民族を再構築して抵抗することも可能としてくれる。しかし民族が人間の主観的構築物にすぎないとすれば、それは被抑圧民族にも当てはまり、非抑圧民族を民族的抑圧から守ることができなくなる。このような弱点を補うために、民族と言語は確かに人間の主観によって構築されるが、恣意的に構築されるわけではないと構築論を修正すべきであると思われる。


〈第2報告〉
タイトル:介護分野における外国人受入れ制度の問題点
報告者:平井辰也(EPA看護師介護福祉士ネットワーク)
概要:
 報告者は,EPA制度開始の2008年より日本語教師として就労前日本語研修を担当し、その後EPA候補者の相談窓口を設置し、帰国したEPA候補者の再来日の支援として介護専門学校への留学や技能実習介護への参加などに関わってきた。この報告ではEPA制度における10年間の結果を総括し,過去のEPA制度及び日本での外国人介護人材受入れ制度の変遷とこれからの制度設計への提言について,日本語教師としての立場と外国人介護人材支援の実践者としての立場から問題点を指摘したい。

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